2011年2月13日日曜日

英語の苦悩

突然ですが、私は帰国子女でもなんでもなく、千葉生まれの千葉育ち。父は建設関連の会社を地元で運営。母は同社の経理。筋金入りのドメスティックです。

しかも英語といったら、中学生の時は最大の苦手科目っていうくらい、本当によくわからない世界のものでした。

正直言って、最初の4ヶ月間、INSEADでの英語の環境は本当につらかった。

まず、INSEADでは教員も世界各国からくるため、それぞれに独特のなまりがあり、非常に聞き取りが難しかったりします。そして、最もきついのがクラスメートの英語のなまり。これは教員とは非にならないくらいなまりが多様で、ドメスティックの私にとっては、クラスメートの発言をひろって議論に参加する、というのが本当に困難極まりなかったのです。

特につらかったのが、グループメートとのコミュニケーション。オーストラリア人、ナイジェリア人、フランス人、ウルグアイ人と一緒でしたが、それぞれ何を言っているのかが本当にわからなくて、何度も、「そこよくわからないからもう一度説明してくれないか」といったお願いをしてみんなに迷惑かけていました。

ふと、ある疑問が思い浮かびました。こんなに多様ななまりで、他の人たちはお互い理解し合っているのか、と。

実は、そんなに深くは理解し合ってないみたいなんです。というより、何となくふわっとした感じで曖昧に理解しているようなんです。いわゆるアクセルの「遊び」の部分を多めにとっているような感じで、「これくらいの範囲だったら多少かみあわなくてもKYにはならないだろう」と、いい意味で適当に振る舞っていることが判明したのです。

INSEADの人たちは、3カ国語以上話せるなんてそんなに珍しいことではなく、しかも大部分の人たちが海外生活を経験しています。つまり、異文化交流のエキスパート。文化も言語も異なる人たちとの交流はこんなもんなんだ、という風に割り切っているんでしょう。

まあとにかくそれを知り、幾分か気持ちが楽になりました。

そして、今の私に何ができるだろうか、ということを冷静に考えることができるようになりました。

まず、これだけ授業が激しく忙しい中で、英語自体の訓練をする時間枠をとる余裕はなかったので、授業の復習をとにかくしっかりとやり、次の授業でおいていかれないように努力しました。不思議なもので、内容がわかるという安心感があると、毎回の授業において気持ちがしっかりと入り、集中して参加できるようになってきました。

また、グループワークとしての課題が出た際は、他のグループメートの担当のタスクであっても事前にレビューをして、わからない単語・内容を少しでもつぶしていくことにしました。それで、随分グループメートとの会話に食いついていくことができるようになりました。

あとは、友達との食事とかパーティへは、できる限り参加するようにしました。瑣末かもしれませんが、「誰が誰のことを好き」といったゴシップ系のことも含み、友達のキャラがわかるようになると、いい感じでツッコミが入れられるようになったりして、相手の英語の一語一句が全て理解できなくても、「いい加減に」会話ができるようになってきました。

これで私の英語力も随分改善されてきましたが、くすぶる感じは完全には消えませんでした。これがどうにも我慢できなくて、P2とP3の休み中には、これまた瑣末かもしれませんが、旅行等の合間をぬって、私の大好きなアメリカのドラマ「Sex and the City」を英語の字幕付きで見まくりました。これは割と効果が大きく、これまでどうしてもわからなかったナイジェリアやインド等のなまりが、すーっと耳に入ってくるようになったんです。字幕と一緒に聞くというのは、頭の中に記憶が定着しやすくなるみたいで、自分が言いたいことも詳細な表現で「言い当てる」ことができるようになってきています。

総括すると、私の英語力は、まだまだ及第点に達しているとは言えませんが、それでも入学以降、随分上達したと思います。引き続き、いい加減に、がんばりすぎず、しかし、ある程度の努力はおこたらず、といった感じでやっていけたらと思っています!

0 件のコメント:

コメントを投稿